代表者コメント

サイトをご覧のみなさんへ

初めまして。クリスタル・ヨガ代表の市川です。
クリスタル・ヨガとは何なのか、私の言葉で紹介させていただきます。

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 ヨガとは”教養”である。

 本来なら人生を始めるにあたって誰もが真っ先に学ぶべき一般教養である。しかし、今の世の中、なかなか誰も教えてくれない。家庭でも学校でも学べない。ヨガを知らないままに生きている人生は、操縦方法を知らぬまま波間を漂流している船のようなものだ。

 ヨガは美容健康と結びつけられやすいが、それだけにとどまるものではない。むしろ、体のレベルを超えてからがヨガの領域と言った方がいい。心身両面から自分の扱い方を知っておけば、人生の舵取りは意のままにとまではいかないにせよ、かねがね自分の意思に沿ったものになっていく。例えば、感情や思考の起こる仕組みとその取り扱い方を理解するだけで人生は変わる。人生の主導権を取り戻すことができるのだ。

 ヨガとは”哲学”である。

 「私とは何か?」「生きる(存在する)とはどういうことか?」誰でも子供時代に一度や二度は考えたことはあるだろう。しかし、いつしか「考えたって無意味だから‥」と置き去りにされたままの想い。生活の大変さに巻き込まれることなく心がまだ自由を失っていなかった頃にやり残した宿題。その時の感覚を思い出してほしい。この問いかけにまともに向きあうことなく終わる人生ほど味気ないものはないだろう。

 今、どんな立場にいようが、どんな仕事についていようが、どんな暮らしをしていようが「自分」の意識の働きを抜きにしては成り立たない。例えば、学者として最先端の研究をしていても、それを思考し理論を構築し検証する「自分」の意識の働きを抜きには成り立たない。空間や現象はそれのみで存在し得るかのような発想が幅を利かせているこのご時世にあっても、観察者なき現象がそもそも存在し得るのかというテーマは無視されていいわけではない。無限ループに迷い込んでしまいそうなこの課題に、人生の趣味としてプライベートに取り組んでみるのも悪くないはずだ。

 「行為者」としての「私」は見つけやすいが、それを見ている「観察者」としての「私」はどうだろうか?これがなかなか難しい。しかし、見つけにくいのを承知の上で「自分」という意識の本体を探し求める旅がヨガである。観念としての哲学ではなく、実践としての哲学である。

 その実践方法の中心が「瞑想」だ。
まずは、アーサナや呼吸法で身体や思考感情を凝りや歪みのない状態に戻していく。心身ともに穏やかに坐れるようになったら、意識そのものである状態(サマディ)を目指していく。そして、条件が整うと実習者は、それを体験する。体験そのものとして理解する。言葉での解釈や説明は必要ない。もはや、そこには何の迷いもない。

 かつては、恵まれた者しか到達できないと言われた境地に、家にいながら簡単な方法で誰もが挑むことができる。そして、経験が深まれば深まっただけ、その成果を踏まえ実生活を力強く生きていけるようになる。

 しかし、そうは言っても、道は決して平坦ではない。
何十年も積み重ねてきた自分の凝りをほぐし歪みをとるということは、それまでの自分自身、その無意識の部分までも爼上に載せ切りさばくということに他ならないので、見て見ぬふりをしてきた己の姿に向き合うことに耐えられない場合も出てくる。が、これは仕方ない。そういうこともあるということだ。

 以上、簡単にまとめると、クリスタル・ヨガとは「心身を整え、自分自身を深く知り、認識の主体に迫ろうという瞑想を主とした実践的な哲学の営み」だと定義できる。ヨガは、宗教的な盲信や軽薄なスピリチュアル(霊的)とは無縁な知的な挑戦なのである。

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長文にも関わらず最後まで読んでくださった方にお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
いつか、クリスタル・ヨガでお目にかかれる日を楽しみにしています。

最後になりますが、
今まで支えて頂いた幾多の方々に感謝の想いを捧げて終わりにしたいと思います。

クリスタル・ヨガ代表 市川治城